フィレンツェ・ルネサンスの黄金期から没落までを表す
東京都渋谷区にあるBunkamura ザ・ミュージアムでは、2015年6月28日までの期間、展覧会「ボッティチェリとルネサンス ー フィレンツェの富と美」が開催されている。
この展覧会では、イタリア政府が門外不出としてきたボッティチェリの傑作である『聖母子と洗礼者聖ヨハネ』が、5月6日までの期間限定で日本初公開がおこなわれる。
ほかにもボッティチェリ最盛期に描かれた、ウフィツィ美術館所蔵の至宝とされる、横幅5メートルにも及ぶフレスコ画の『受胎告知』が来日する。
ヨーロッパ全土の貿易とビジネスを支配し、ルネサンスの原動力となった金融業の反映および、近代に通じる芸術支援であるメセナ活動の誕生のさまを、イタリア、フランス、アメリカから集わせたボッティチェリの作品10数点に、絵画、彫刻、工芸、資料をくわえて約80点でそれらを浮き彫りにする。
ボッティチェリとその時代の移り変わり
『ヴィーナスの誕生』、『春(プリマヴェーラ)』などの作者として知られるボッティチェリは15世紀、メディチ家をはじめとする銀行家の支援により栄えた、フィレンツェ・ルネサンスを代表とする画家である。
ルネサンス期に描かれたフィレンツェの名作の数々は、メディチ家をはじめとする銀行家一族の注文によって制作されていた。メディチ家から絶大な信頼を得ていたボッティチェリは、彼らの要望を満たす作品を生み出す理想的な画家だった。
だがメディチ銀行が衰退していくとともに、フィレンツェは危機の時代を迎え、台頭した修道士サヴォナローラが「虚栄の償却」を行い、贅沢品や宗教上好ましくない芸術作品が燃やされたりした。
ボッティチェリはやがてサヴォナローラに共鳴するのにくわえ、晩年は神秘主義的な傾向を強めたこともあり、1501年以降は注文も途絶え、やがて1510年にひっそりと世を去った。

ボッティチェリとルネサンス 公式ホームページ
http://botticelli2015.jp/index.html