山岡鉄舟の生涯を振り返る
東京都墨田区にある江戸東京博物館では、2016年8月11日(木)より9月25日(日)まで山岡鉄舟の生誕180周年企画記念として、『山岡鉄舟と江戸無血開城』の展覧会を行う。
江戸はそもそも18世紀初頭に推定で100万人の人口を抱えた、世界有数の巨大都市であった。明治新政府はこのような都市基盤を引き継いで、江戸を新たな都の東京としたように円滑な移行が行われた。
これは鉄舟も大きく関わった「江戸無血開城」により江戸が戦火を免れたことによって可能となったのである。
山岡鉄舟が先に西郷と会談を行っていた
江戸無血開城にあたっては、勝海舟と西郷隆盛の会談が有名であるが、先に西郷隆盛と会談を行って先に無血開城の道筋をつけたのは山岡鉄舟であった。
このとき将軍である徳川慶喜はすでに恭順の意を表していたため、勝海舟に全権を委任し、上野の寛永寺にて謹慎していた。
勝海舟はこのような状況を伝えるために西郷隆盛へ書を送ろうとして、当初高橋精三を使者にしようとしたが、精三は将軍の警備から離れることができなかった。
そのため山岡鉄舟が使者となり、新政府軍と徳川家の処遇および戦闘回避の条件について協議を行ったのである。その後有名な西郷隆盛と勝海舟による談判が行われ、江戸無血開城が行われた。
なお休館日は8月22日、29日、9月5日であり、開館時間は9:30から17:30までであるが、土曜日は19:30まで開館しているほか、9月2・3日をのぞく9月10日までの金・土曜日は21:00まで開館している。(いずれも入館は閉館の30分前まで)
江戸東京博物館 展覧会 山岡鉄舟と江戸無血開城
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/