近代の万年筆の役割を追う
千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館では、2016年5月8日(日)まで企画展示として『万年筆の生活費 -筆記の近代-』を行っている。
この展示の見どころは、日本の万年筆が制作にその独自性を組み入れつつ、それまで優れているところを前面に出したまま構成しているところである。
日本は古代から近世までの時代、紙や木管、土器などに文字を記す行為は筆と墨によって筆記されてきた。
筆で筆記された記録が日本社会に蓄積されてきたことをまず確認したうえで展示を見進める構成なっている。
やがて近代に入ると、筆記の近代化を丸善がすすめ、イギリスのデ・ラ・ルー社のオノトを中心に、万年筆の普及啓蒙をはかっている。
さらに丸善は『学橙』を編集していた内田魯庵や、人気作家であった夏目漱石や北原白秋、幸田露伴らを宣伝に起用することで万年筆を新しい時代の筆記具として宣伝した。
国産万年筆の製造開始
やがて明治末になると筆記具や文具の輸入に関わっていた人々が国産万年筆の製造に挑むようになった。
そのころの代表的なメーカーは、スワンやオリバーであったが、少々遅れ大正時代に入るとサンエスやプラトンといったメーカーが参入し、加工技術の向上にともない輸出も行われるようになっていった。
生活の中に組み込まれていく万年筆
そして明治44年、セーラー万年筆が登場するが、この会社は現存する最古の万年筆メーカーである。同時に国内では最初の14金ペンを生産している。
さらにパイロットは並木製作所として大正3年ごろにに創業、プラチナは大正13年に創業した。
日本の万年筆はこれら3社を中心として競い合いながら製品の開発および工夫、販売を重ねて現代に至っている。
そうして万年筆は、大人になれば一人一本、必ず持つものとして大衆化し、多種多様な万年質が生み出されていった。これはその後万年筆を所有する悦び、というものにつながって行く。
さらに近代の制度のなかでは、公的な筆記具として扱われはじめ、軍隊などのほか、外国との交渉といった場面にも使用されていき、万年筆の使用によって近代という時代が生み出されていったといってもいいだろう。
(画像はホームページより)
国立歴史民俗博物館 開催中の企画展示
http://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/index.html