時代の流れに沿いつつ発展した磁器
東京都渋谷区にある財団法人の戸栗美術館では、2015年12月23日までの日程で、『柿右衛門・古伊万里金襴手展』の展覧会を行っている。柿右衛門は17世紀から約100年間、時代のもとめに応じて様々な様式が生まれていった磁器である。
今回の展覧会では、17世紀後半から18世紀後半にかけて製造された伊万里焼を約80点展示する。国内だけではなく、西欧の人々まで魅了した名品がそろっている。
伊万里焼が成立するまで
そもそも伊万里焼は、初の国産磁器として生まれたものである。1640年代ごろより色絵磁器の製造が日本ではじまり、一部は東南アジアへも輸出された。
17世紀ごろまでは、中国の王朝が生み出す中国磁器が世界の磁器市場を独占していたが、この頃の明・清王朝へ以降するときの混乱にともない、磁器の輸出量が半減していた。
そのため伊万里焼は中国磁器にとってかわるべく、西欧人好みの製品を開発しはじめ、1670年代から輸出を本格化させて販路を大きく広げたという背景がある。
このあたりの時期に西欧向けの新たな様式が成立した色絵磁器は有田の職人や、窯場を牽引していた酒井田柿右衛門の名をとって、”柿右衛門様式”と称されるようになったのである。
続く元禄年間(1688〜1704)には海外輸出を再開した中国磁器と市場をめぐって競争になるが、このとき伊万里焼は作風・様式を量産向けにして対応した。
この頃の製品が『古伊万里金襴手様式』と呼ばれており、左右対称の構図や文様の反復を基本としている量産品ながら、染付・色絵の上に金彩をつけた豪華なものだった。
国内の商人・町人にも珍重された
大型のつぼや皿は西欧の王侯貴族の宮殿を飾る室内装飾品として用いられただけではなく、この時期日本国内の経済は安定していたため、豊かになった商人・町人の間でも高級品として購入されていた。
いずれも美しく、江戸の豊かだった時代を反映しているような作品がそろっている。一見の価値ありだ。
なお、美術館は月曜休館だが、月曜が祝日の場合は開館し、翌火曜日が定休となる。開館時間は10:00〜17:00(入館は16:30まで)。
(画像はプレスリリースより)
戸栗美術館
http://www.toguri-museum.or.jp/index.php戸栗美術館 現展示のご案内
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